研究テーマ:文脈改変を用いた痛みのマスキング

痛みは日常生活において避けては通れない事象の一つであり、これは普段の行動での過失や医療現場で頻発します。これに対して薬剤投与で対処することが一般的ですが、投与する薬剤の効き目は人によって個人差が大きく、場合によっては副作用の可能性も危惧されます。そこで刺激部から注意をそらす手法や刺激を受けている人の様子を変更するといった薬剤投与を行わない痛みの軽減手法が注目されています。しかしこれらの手法は個人の認知によるものであるため、個人差が大きいという特徴があります。また注意をそらす手法に関して痛みを過度に恐れる人や、痛みを深刻な脅威と考える人には効果が得にくいとされています。したがって、薬剤投与を行わないほかの種類の痛み軽減の手法を開発することはより多くの人が薬剤投与を行わずに痛み軽減ができる可能性が上がるため重要です。そこで私は刺激原因から注意をそらさなくてもよい新たな手法である「文脈改変を用いた痛みのマスキング」という新たな手法を提案しました。本手法は痛み刺激原因の見た目をHMDなどを介して人にとって不快ではないものに変更することで感じる痛みを軽減するものです。本研究の貢献先は医療分野だけではなく、刺激原因から注意をそらす必要がないという利点を生かし脱毛や髭剃りといった日常的に自身で処置を行うような場面も考えられます。
SIGGRAPH ASIA 2025 Emerging Technologiesに出展
概要ビデオ
開発期間:2025年10月~2025年12月
使用言語:C#, C++
使用ソフト:Unity, processing, arduino, steamVR, meta questlink
ITmediaに掲載していただきました:リンクはこちら
本体験に関して
普段の研究発表とは異なり、SIGGRAPH ASIAへの出展ということでデモの形式で出展を行いました。本体験の内容は上記に記した私の研究に関して複数の場面を用意し、体験を行ってもらいました。
- 場面1:カミソリシーン
- このシーンでは元の痛み刺激原因として日常的な場面の一つであるカミソリで毛を剃るシーンが想定されています。このシーンではVR空間内のカミソリが腕を剃る挙動に合わせて右手首に取り付けられた電気刺激装置から瞬間的な痛み刺激が提示されます。新たな刺激原因としては猫のひっかきが採用されており、この刺激原因に変更することにより、痛み知覚の軽減を図ります。
- 場面2:注射シーン
- このシーンでは元の痛み刺激としてより分かりやすい応用先である注射が想定されています。このシーンでもカミソリシーンと同様VR空間内の注射器が腕に刺さるタイミングで電気刺激装置から痛み刺激が提示されます。ただし、先ほどとは異なり、このシーンでは継続的な刺激が提示されます。新たな刺激原因としては継続的な猫のあまがみが採用されています。
- 場面3:チュートリアルシーン
- このシーンでは上記らのシーンとは異なり、実応用場面ではなく概要を説明するシーンとなっています。具体的には提案手法の内容について、本体験の操作方法・注意事項、提示刺激の強度調整を行っていきます。
工夫点
本体験は多くの体験者にスムーズに参加していただくにあたり先輩や同僚、友達といった様々な方に事前に体験・フィードバックをいただき作り上げていきました。これは私が自分一人で作り上げた体験では自身の価値観しか考慮されないため、必ずしも分かりやすく、面白い体験にはならないと考えていたからです。この試行錯誤を通して以下の点を工夫し、作成しました。
- チュートリアルシーンの追加
- 一連の体験においてチュートリアルシーンは無くても体験としては成立します。しかし、チュートリアルを行うシーンがあったほうが体験の流れや本体験の目的をスムーズに説明でき、体験としてより楽しむことができるのではないかと考え、本番の2週間ほど前に急遽追加しました。
- 言語選択
- 本体験では今までの制作物とは異なる新たな取り組みとしてローカライズを行いました。SIGGRAPH ASIAは国際学会であるため、当然日本語よりも英語を得意とする方の方が多くいらっしゃるため、チュートリアルシーンの最初の段階で、英語と日本語のどちらでも選べるようにシステムを構築しました。これに加え、体験前に並んでいるときなどに読むことができる説明資料を自身で用意し、それに関しても複数の言語で用意することで、より多くの人が本体験に関して深く理解できるように心がけました。
- 説明用の鳥の追加
- 単に文字を表示するだけでなく説明キャラクターを追加することで本体験により親しみやすく、かつどこを見れば内容が分かるのかということがすぐ分かるアイコニックな要素として追加しました。また、セリフの表示方法をRPG風にすることでより鳥がしゃべっているように感じるよう心掛けました。
- 一部説明での矢印
- 鳥の説明において一部の説明では単にテキストを表示するだけでなく、どこを指しているのか分かりやすくした、矢印オブジェクトを表示しています。これにより今どこの場所に関する説明をしているのか直感的に分かるようにしています。また、鳥の説明テキストが表示完了したタイミングで鳥のテキストボックスの右下に小さく矢印を表示することで次のテキストに進むことができることをさりげなく知らせています。
- ボタンUIの見た目
- 本体験では事故防止のため、最初に説明を聞き、そのあと刺激に関する操作を行うという流れになっています。そのため、体験の最初は刺激に関するボタンを操作できないようになっています。このことを知らせるために、最初はボタンの見た目を半透明にしています。加えてテキストを読み進めるボタンに関しても、テキストが最後まで表示されるまで再度ボタンを押すことができないのですがこのことを知らせるために同様の方式を採用しています。使用不可のUI変化を統一することで、より直感的に体験者に伝わるように心がけました。またボタンの上にあるそのボタンがどのような役割をしているボタンなのか説明するテキストをビルボードにすることでVR特有の体験者の位置が人によって微妙に異なり、文字が見づらくなるということを防いでいます。
- 刺激調整ボタン群の見た目
- 刺激調整を行うボタンに関しては他のボタンとは異なる見た目の物を自作して実装しています。これにより、これらのボタンが他とは異なる役割があることを直感的に分かるようにしている且つ、それぞれのボタンがどのような役割を持っているのか見てすぐに分かるようになっています。
- 各種アニメーション
- 本体験では一連の体験の中で注目してほしいものに関してはなるべくアニメーションをつけるように心がけました。これにより、注目してほしいオブジェクトの挙動が逐次変わるため、より体験者の気を引くことができると考えました。
- 刺激レベルの表示
- 本体験において具体的に刺激のレベルがいくつなのかということは重要ではありません。しかし、現在の操作において刺激に対するパラメータが変化しているということを体験者が確実に理解できるようにするために具体的なレベルを表示しました。
- 刺激のスタートストップボタンの挙動
- このボタンに関しては一つで刺激の開始と終了という二つの役割を担っています。刺激に関する挙動変更を一つにまとめることにより、どのボタンを押せば刺激に関する処理を行えるのかということを分かりやすくしました。加えてボタンの数を減らすことで体験空間が煩雑になってしまうのを防ぐ効果もあります。また、1度ボタンを押した後はしばらくの間コライダーを無効にすることで間違えて何度も押してしまうということを防いでいます。
- シーン移動UI
- シーン移動に関しても他のUIとは異なる見た目をしています。これに加えて両手を所定の位置に置かないといけない仕様にしています。理由としては本体験においてそのシーンでの体験に満足したら次のシーンに移動し、元のシーンには戻ってこないため、利用方法に条件を設けることで誤操作によってシーン移動を行ってしまうことを防いでいます。
- モード変更UI
- 本体験ではそれぞれのシーンに刺激原因の見た目を変更するためのUIが体験者の正面に用意されています。他のボタンとは異なり正面の空中に配置することで一番重要であることが直感的に分かり、VR空間の机の上が煩雑になってしまうのを防いでいます。加えて現在選択されていないモードの見た目を少し暗くすることで、現在のモードを分かりやすくしています。このUIは押すことにより刺激原因の見た目を変えるだけでなく、その新しい刺激原因に関する説明を表示するようになっています。これによって単にそれぞれの説明を表示し続けているよりも説明文が何を表しているのか理解しやすくなっています。

研究発表実績
・小野田響,今笙羽,高見太基,牛山奎悟,溝口泉,梶本裕之“文脈改変を用いた痛みのマスキング.” , 第29回バーチャルリアリティ学会大会,2024.論文リンク
・Hibiki Onoda, Shoha Kon, Taiki Takami, Keigo Ushiyama, Izumi Mizoguchi, Hiroyuki Kajimoto, “Investigating the Effectiveness of Pain Masking Through Contextual Modification”, CHI EA ’25. 論文リンク
・小野田響,今笙羽,牛山奎悟,溝口泉,梶本裕之”文脈改変による痛みのマスキング(第2報)VR 環境下での有効性の検証” ロボティクス・メカトロニクス講演会2025. 論文リンク
・Hibiki Onoda, Shoha Kon, Keigo Ushiyama, Izumi Mizoguchi, Hiroyuki Kajimoto, “Pain masking by contextual modification in VR/AR environments” WHC 2025.論文リンク, デモページ
・小野田響,溝口泉,梶本裕之“文脈改変による痛みのマスキング(第3報)提示文脈と痛覚刺激の整合性が与える影響の検証.” , 第30回バーチャルリアリティ学会大会,2025.論文リンク
・小野田響,溝口泉,梶本裕之“文脈改変による痛みのマスキング(第4報)提示文脈と継続的な痛覚刺激の整合性が与える影響の検証.” , 第26回計測自動制御学会システムインテグレーション部門講演会.論文リンク
・譚 雨祺, 小野田響,溝口泉,梶本裕之“指先への電気刺激と機械振動を用いた切られ感の提示.” , 第26回計測自動制御学会システムインテグレーション部門講演会. 論文リンク
・Hibiki Onoda, Shoha Kon, Keigo Ushiyama, Izumi Mizoguchi, Hiroyuki Kajimoto, “Reducing Discomfort by Changing the Interpretation of the Cause of Pain” SIGGRAPH ASIA 2025. 論文リンク
・小野田響,溝口泉,梶本裕之“文脈改変による痛みのマスキング(第4報)提示文脈と継続的な痛覚刺激の整合性が与える影響の検証.” , 第26回計測自動制御学会システムインテグレーション部門講演会, 優秀講演表彰. 受賞ページリンク
